インターネット中毒

物事を記憶、記録しておくコストがこんなにも安い時代はかつてなかったと思う。
インターネットにアクセスしさえすれば膨大な情報にアクセスすることができる。

また、自分のプライベートな情報を記憶し、まとめておくサービスも充実している。
ブログやTwitter、など手法も様々に揃っていて、今日も膨大な容量の情報がネット上に産まれている。


しかし、だからこそ、何を記憶しておくべきか、ということが判然としない社会になってしまった。
目の前の物事に興味を持ち、深く追求し、理解する前に、新たな「記憶すべきこと」が目の前に現れ、結局何も得ることができない、というのはよくある話だ。


ニュースサイト、ホッテントリTwitterログ、たくさんの情報が私たちがそれに目を通すように語りかけてくる。
すべての情報はそれぞれ魅力的で、しかも「他の人が見ている」。
他の人が知っているのに自分だけが知らない、ということは他人より劣っているということになる。
それを避けるためにも、出来る限り情報に目を通さなくてはならない。


と、いうような、暗黙の強制力がインターネットには働いているように思う。
それはすべて自分の中から出てきた欲求なのだが、だからこそ辞めることができない。


ウェブから離れてしまうことによって自分が萎んでしまう苦痛。
ウェブに接続し続けることによって自己を肥大し続けられる快楽。


そのために支払わなければならない代償はあまりにも大きい。