ネットがいじめられっ子で溢れかえる理由

ネットっていじめられっ子率高すぎ。リアルでは考えられないぐらい、いじめられっ子視点でのコメントばかりで埋まる。< http://twitter.com/fromdusktildawn/status/16370630502 >

 僕はいじめが発生する仕組みについて、次のように考えている。


 まずいじめっ子は、DQNぶりやガタイのよさ、持ち前の明るさなどで集団の空気を掌握することから「いじめ」という状況を開始する。ここでいう集団の空気とは、少数のいじめっ子が多数の日和見を取り込むことによって作られる。そして、日和見の中で、より叩きやすい形質を持ったものがいじめられっ子としていじめの標的になる。


 これを受けて、インターネットでいじめっ子が存在しにくい理由をいくつか挙げられるように思う。


 1つ、インターネットでは現実に比べて集団の空気をコントロールしにくいということ。
 HOTな話題には外から外から新しい参加者がアクセスしてくるので、集団の構成員が常に不定だ。だから短期的には炎上という形で状況をまとめあげることができるかもしれないが、継続的にコントロールすることは難しいと思われる。
 だから多数派を作り出しにくい。


 2つ、現実世界でいじめっ子が使う武器はインターネットの世界に持ち込めない。
 いじめっ子は日和見を取り込むことによって多数派になるが、どのように日和見を取り込むかというと、見た目や暴力性、声の大きさやその場の勢いなどを使う。が、インターネットにはそのようなものは持ち込めない。
 だから多数派を作り出しにくい。


 3つ、「叩きやすい形質」とは、「解りやすい異質さ」のことだ。
 叩きやすそうな特徴がある。いじめっ子がそれに目をつけて叩く。いじめっ子が叩いたことによって日和見は、それを叩いても良いのだという理由を作り出す。いじめはこうしてできあがる。
 そして、インターネット上では、こうした「叩きやすい素材」を見つけてくる人間の顔ぶれが毎回違う。現実ではいじめっ子が果たしている役割を果たすのは不特定多数のネットウォッチャーだ。
 だから、『特定の』いじめっ子はいない。


 4つ、いじめっ子であり続けることが出来ない。
 なぜならいじめっ子であることそのものが、「目立つ」ということだからだ。目立つ、というのは「解りやすく異質」だ。
 彼/彼女が少しでも解りやすい叩きやすさを垣間見せれば、今度はアンチいじめっ子が彼らを叩く。多数の日和見は所詮「誰かが叩いたから叩いても良い」の論理で人を叩いているわけだから、簡単に攻守が交代してしまう。
 だから、いじめっ子になることは危険だ。*1


 そういった意味で、ネットにはいじめっ子はいない。
 局地的に生まれても長続きはしない。
 いるのは無数の日和見と、その中で折に触れて運悪く目立ってしまうババをつかまされたいじめられっ子、それだけだ。

*1:「無敵の人」は別だ。