芸術は可能か


 今日が最終日だったので、六本木クロッシング2010展を見てきた。広く日本のアートシーンから、最も注目すべきクリエイターを2〜3年ごとに紹介する展覧会というコンセプトで催されたこのイベントは、今回で三回目を迎える。今回の副題は「芸術は可能か?(Can There be Art?)」。イベントを通して、自分なりに芸術について考えてみた。

芸術とは何か

 芸術には、アートには、異常性・非日常性が必要だと思っている。驚き、既成概念が覆される感覚。鈴木光司氏が哲学者、竹内薫氏との対談*1の中で語っている、「自分が答案用紙の表に書いた文章が、問いが変わった途端に崩れていく、というような小さな崩壊感覚」、あるいは「知的ショック」のようなものが。日常に滑り込む異質、新しい「何か」を見せてくれるトリガー。

 異常性をギャップと言い換えることも出来るかもしれない。ギャップ。ズレ。AとBのズレ。ズレが生まれるためには常に二つの以上ものが必要だ。街中に突如現れる巨大な箱。プラダの袋の中に佇む樹木のモニュメント。家具を積み重ねて作った自動演奏機械。これらはすべてギャップを生み出すための仕掛けとして働いている。

 ギャップを作り出して私たちを驚かせ、知的ショックを与えてくれるモノたち。芸術とは、アートとは、そのようなものであるとおもう。

アートの最大の敵

 「社会とアートは、お互いを映しあう鏡のように存在し続けるでしょう。」*2現代美術家やなぎみわさんの言葉だ。アートが新しい「何か」のトリガーであるとして、では、私たちにとってどのようなものが「新しい」のか?かつて新しかったものも、時間経過とともに人々の日常の中に埋没し、異常性を失ってしまう。だから、社会が変われば同様に「芸術」の定義も変化するだろう。お互いを映しあう鏡のように。

 芸術の定義は常に社会に影響を受ける。では社会とは何か。社会とは個の集合体である。個人が集団の最小構成単位となった現代において、人々の趣味は多様化し、自分の世界に没頭できるようになった。すると、何が芸術であるのか、ということの定義についても個々人の間で差が生まれてくるだろう。これはアートなのか、アートではないのか、人々の間で評価が別れることもあるだろう。ギャップは私たちにショックを与え、様々な反応を呼び起こす。時にはそれがマイナスの感情に繋がってしまうこともあるかもしれない。

 芸術を可能にするには、社会を観察し、裏をかき、好奇心を呼び起こさねばならない。価値観が多様化する現代において、そして強烈な刺激が日常の中にも氾濫している現代において、人々を驚かせ続けることは難しくなっているのかもしれない。マジックショウを見る人々でさえ、世の中に魔術があるとは信じていないだろう。任天堂は、自社の最大の敵は「飽き」だと言った。*3芸術が可能かどうか、という問いを、「より激しい刺激を求め続ける現代人を、それ以上に驚かせ続けることができるのだろうか」と問い直せば、この構造はより清冽に浮かびあがってくるだろう。

アーティストの最大の敵

 ところでアーティストとは、アートを行う人たちのことだろう。ではプロのアーティストとはどのような人々か。私は、アートの対価として金銭を得られる人々のことだ、と思う。ルノワールは「絵画の価値を図る指標はただ一つ、競売場だ*4」と言った。では金銭に値するアートとはどのようなものだろう。

 街は私たちを驚かせ、出費を強い、消費させる、高度な仕組みで溢れている。人々は奇を衒い、工夫を凝らして私たちに知的ショックを与え続ける。人々はそのような知的ショックを与えられ続け、麻痺し、多少の驚きでは金銭を払うに値しないと感じるようになってしまってはいないだろうか。

 加えてウェブの存在がある。ウェブは驚きを与えるだけでなく、人々を驚かせるためにも機能している。youtubeは、ニコニコ動画は、drawrは、pixivは、人々が驚きに出会うための敷居を強力に押し下げ、人々は無料でほとんど刺激を消費できるようになった。では、人々にとって、お金を払って出費する意味はどこにあるのだろう。

 しかしアーティストも人間だ。食事をし、住まいを確保しなければならない。それだけでなく、アートを表現するには少なからず金銭も必要になるだろう。日常に氾濫している驚きがインフレを起こして、私たちの心を麻痺させ、驚きに対する支出を控えさせ、驚きの対価を限りなく無料に近づけているのだとしたら、これからのアーティストはどのように暮らしていけばよいのだろうか?アーティストがアートで暮らしを立て続けてゆくことは可能か?「芸術は可能か」という問いの中にはこのような問題提起も潜んでいるように思われる。


 好奇心には際限がない。舌が肥え続け、新しい驚きを求め続ける観客を魅了し続けることができるのか。その対価をいかにして求め続けるのか。アーティストとして生きつづける為にはいかにすればいいのか。

 飽きない作品を作り続け、商いができるプロでありつづけるためにはどうすればよいのか。「芸術は(どうすれば|本当に)可能か?」ただ一つ解るのは、日常の象徴としての社会があり続ける以上、非日常の象徴としての芸術もまた存在し続ける、ということなのだと思う。芸術を覗き込む時、芸術もまた、あなたを覗きこんでいる。

*1: Amazon.co.jp: 知的思考力の本質 (ソフトバンク新書): 鈴木 光司, 竹内 薫: 本 : http://www.amazon.co.jp/dp/4797352531/

*2:Society and art will continue to be like mirrors that reflect each other.

*3:Amazon.co.jp任天堂 “驚き”を生む方程式: 井上 理: 本 < http://www.amazon.co.jp/gp/product/4532314631/ >

*4:There is only one barometer to measure the value of painting which is an acution.